彼女は嬉々として手紙を書くのです。
次の日曜日に家で工作をしよう、という
ただそれだけを伝達するために
文章の近くに花びらや自画像まで描いて、
私の晩御飯のお椀のそばに
置いているのです。
そして次の日の朝に
手紙、見た?
と聞いてくるのです。
そんな風に手間をかけて誰かに何かを
伝えるようなことは、
私には久しくありません。
しかも伝えるための手間を惜しまず、
むしろその工程を楽しむような気持ちなんて、
もはや微塵も無いのです。
その手間もその気持ちも大人になるにつれて
消えていく類のものなんだと思うと、
それはとても尊いものである気がしました。
ですが、
きっとまた明日も彼女は言うこと聞かなくて、
ぎゃあぎゃあ騒ぐことになるのです。