機械仕掛けの豚

クソみたいな世の中だと憂う前に、目の前のものを愛そう。

クリスは死ななければならなかったのか

スタンドバイミー。

久々に見た。

たぶん見たのは高校以来。

あの頃は少年の冒険物語として見ていたけど、

今は完全におじさんと化したゴーディの視点で見てしまう。

打算なしで成立する友情は、昔は確かにあったなと。

 

で、どちらの視点から見てもクリスは強くて優しくてかっこいい。

だからこそやっぱクリスには死なないでほしかった、と思う。

例えば新聞に目を向けたときの記事が、

「全米注目の裁判、まさかの逆転判決」みたいな見出しで、

勝訴に導いたのが弁護士になったクリスで、

新聞を片付けた瞬間にそのクリスから電話がなり、

こっちは今から出るところだ、

釣り道具忘れないようにな、

じゃあ1時間後にハーロウロードで会おう、

ていうようなラストだったら、映画は

「不幸な境遇であっても頑張れば未来は開ける」

「12歳の友情は大人になっても続く」

という明るいメッセージで終わったはずだ。

 

だけど実際はそんな予定調和ではなく、

クリスはその正義感故に事件に巻き込まれて死ぬ

(ゴーディの外観と子供たちの年齢から想像すると四十代そこそこ、かなあ…)。

ゴーディは昔を思い出しながらワープロに最後の一文を入力し、感傷を振り切るように電源を落とす。

そんなシーンで映画は終わるけど、その感傷はそのまま見ている人の余韻となってエンドロールに入る(たぶん、ゴーディが綴った小説の冒頭には、クリス・チェンバーズに捧ぐ、とあるのだろう)。

 

なぜクリスは物語上、死ななければならなかったのか、と考えたとき、

ティーブンキングがこの物語で言いたかったのは、頑張れば成功するとか友情は不滅だとかそんなことじゃなく、

信念を持て。そして今を大事にして生きろ。

と、

そういうことだったんだろうな、と思った。