機械仕掛けの豚

クソみたいな世の中だと憂う前に、目の前のものを愛そう。

見ているのは足元か

反対、とか、賛成、とか。
そもそも政策とはそんな次元の問題じゃないだろ、
と思うものの、言葉のわかりやすさのせいか
そんな短いフレーズが連呼される。
反対しようが賛成しようが、そもそも具体的な行動プランが
なければ結果は同じはずなんだけど。


身を守ることと相手を攻撃することは同じなのか。
相手が武器をちらつかせたら、こっちも武器を
ちらつかせるしかないのか。
武器を持てば、いずれそれは脅しじゃなく、
本当に武器として攻撃することになるかもしれないけど、
相手を殺す覚悟、自分が死ぬ覚悟、
そんな覚悟が今の自分たちにあるのか。


いつのまにか「復興」という言葉はあんまり聞こえなくなって、
脱原発」がクローズアップされてる。
10年後とか20年後にゼロにする、とか言う以前に、
被災して家や職を失った人たちの今を優先するべきじゃないのか。


子供が減って老人が増えていく未来。
現実的な試算をすれば年金がこのままではマズイってことは
みんな理解してるけど、
増税反対をするなら、どこに代替の財源を求めるのか。


不公平は存在する。
「不利」側の人は声をあげやすい。
でも「利」側の人は自らを守ろうとする。
その牙城を切り崩すにはきっと長年に渡って積み上げられた
高い壁を壊さないといけない。
その高い壁がどこにあるのか、それはどんな壁なのか、
明るみにしなければならないけど、
その糸口は本当にあるのか。


自分の子供がニコニコ笑ってる。
十年後も二十年後も、やっぱり笑っててほしいと思う。
俺らが見ているのは今か。
明日か。それとも一年後か、十年後か、二十年後か。