機械仕掛けの豚

クソみたいな世の中だと憂う前に、目の前のものを愛そう。

「自然を守ろう」

「自然」と聞いたとき、想像するのは何だろう?
海か。空か。山か。


いずれにしても、「自然」という括りの範囲が大きすぎて、
想像する対象も大きくて、少し漠然としている。


でも、例えば海の汚染も、空(大気)の汚染も、
山(森林)の伐採も、
最初からそんなに大きなものを
対象に壊されていったのではなかった。


「少しくらい汚れた水を流しても大丈夫」
「少しくらい汚れた空気を排出しても大丈夫」
「少しくらい木を切っても大丈夫」


対象は、あくまでも目の前の小さなものだったはずだ。
小さなものを壊したり、汚したりしていった結果が、
大きなものに繫がっていったんだろ。


「自然を守ろう」じゃなく、
「CO2排出量を削減しよう」じゃなく。


「ゴミを拾おう」
「電気を消そう」
「アイドリングをやめよう」
「ネクタイをやめよう」


対象はあくまでも目の前の小さなもの。
できることをやる。
「自然」は、それらが積み重なった先にあるもの。