機械仕掛けの豚

クソみたいな世の中だと憂う前に、目の前のものを愛そう。

余命を意識できるか

もし、あと一年の命だったら。
もし、今日が人生最後の日だったら。


偉人たちは生きている時間を無駄にするな、と言う。
それはあくまでも自分自身への追い込みだ。
その考え方を毎日実践できる時点で偉人の偉人たる所以だ。


通常、余命というのは予兆を感じて初めて意識できるものの
ような気がする。
健康診断ぶっちぎりで優良、
金回りも絶好調、
対人関係においてストレスなし、
そんな人がいたとして、あと一年あと一日が自分の余命だと
想像できるかというと、やっぱムリだと思う。


体調の異変を感じてからたったの数日で様態が悪化し、
この世を去ってしまった人がいて、
ほんの一週間前までは本人もそんなことは想像もしていなかったはずで、
現実の状況に心が追いつかない中、
長い間連れ添った人たちに感謝の言葉も満足に伝えられなかったのはきっと無念だったろう、
しっかり手を握って言いたい言葉があっただろうな、
と想像すると、
それだけで胸がつかえる。


自分を追い込むために余命を意識するのではなく、
単純に、もし自分がいなくなったとき、
残された人たちに伝えておくべきことは何か、
たぶんそれは残しておくべきなんだろう。
毎日は無理でも一年に一回くらいは、
そんなことを考えておいてもいい気がした。