機械仕掛けの豚

クソみたいな世の中だと憂う前に、目の前のものを愛そう。

直径30センチの足場の上で

例えば四方を漆黒の暗闇に包まれていて、
直径30センチの円形の足場の上に立っていて、
目を凝らしても先にはただただ闇しか見えず、
手で先を探ろうとも何に触れることなく空を切るばかりで、
静まり返った中、風の音さえ聞こえない。


大きな声で周囲に呼びかけてみるけれど、
応える声はなく、
ジーンズのポケットに入っていた携帯電話を取り出してみるけど、
電波は入らない。
他に身に着けているものといえばTシャツくらいで、
足元は裸足のまま。


そんな状況でもなぜかお腹は満たされていて、
体力はみなぎっている。


足場の高さは分からない。
そんなに高くないかもしれない。
あるいは思い切り足を踏み出せば、そこに地面があるかもしれない。
携帯電話を放り投げて、跳ね返る音の大きさで高さが測れるかもしれない。
それとも、何かの拍子に電波が入るときがあるかもしれない。
もう少し様子を見ていれば、辺りが明るくなって
もっと状況が分かるかもしれない。
ただあまり時間が過ぎると、眠気が襲ってきてバランスを崩す可能性もある。
体力があるうちに行動するべきか。
それとも様子を見るべきか。


何らかの決断を迫られて、
もし生き延びることができたら、
それは勇気のいる決断だったと賞賛される。
生き延びることができなかったら、
それは無謀だったと批判される。