機械仕掛けの豚

クソみたいな世の中だと憂う前に、目の前のものを愛そう。

走っている姿を想像する

自分が走っている姿を想像する。
とにかく急いで目的地に行かなければならない状況だとして、
もうすごく長い時間走っていて、
息が苦しくなっていると想像する。


そのとき、もしも沿道に立つ人から「かわいそうに」と言われたら、
俺は「うるせえ」と思うだろう。


「歩きたければ、歩いていいよ」と言われたら、
心が折れそうになるだろう。


「走りたくても、走れない人もいるんだから、がんばりなさい」
と言われたら、
無視するだろう。


ただ単純に「がんばれー!」と言われたら、
少しガッツが出るだろうけど、
その声がテレビCMの中の芸能人のものだったら、
何も思わずに聞き流すだろう。
それは俺個人に向けて言われた「がんばれ」ではなくて
芸能人がカメラに向けて言った「がんばれ」だから。


本当に走るのが苦しいとき、
一番心強いのは、
たぶん隣りで一緒に走ってくれる誰かがいることだ。


その人が苦しくても走るのをやめなかったら、
たぶん俺もがんばれる。
そのときに「がんばれ」っていう言葉は不要だ。


本当の意味で、
一人じゃない、一緒にがんばろう、
というメッセージを伝えるなら、
それは言葉じゃなくて行動でしか伝えられない。
(学生時代の部活仲間なんかはいい例だ)


ポジティブな言葉を羅列することに
ほんとに意味があるのかどうか、
正直よくわからない。