機械仕掛けの豚

クソみたいな世の中だと憂う前に、目の前のものを愛そう。

責任能力ってなんだ?

凄惨な事件を起こした犯人を裁くとき、必ず聞こえてくるのは、
責任能力があったかどうか。
たとえ人を殺していても、心神喪失などによって責任能力が認められなかった場合、無罪になったりする。


これってどういうことなんだろう。


善悪の判断が出来ない犯人が、罪のない人を殺したとして。
犯人に善悪の判断があろうとなかろうと、
殺された人は生き返らないし、遺された人たちの悲しみは変わらない。
やっぱり罪は罪として裁かれるべきなんじゃないか、と思う。


アメリカで何年か前に、3歳くらいの男の子が本物の拳銃をオモチャと勘違いして友達に発砲し、殺してしまった事件があった。
当然男の子に責任能力なんかあるはずもないから、
たぶん男の子に罪はない。
その子の手の届くところに拳銃を置いていた親が裁かれるべきだろう。


善悪の判断ができない犯人に対して責任を問うことができないなら、
そんな人間を放置した周囲の人の責任を問わなくちゃいけない気がする。
そうでないと、殺された人の「生きる権利」はどうなる、と思ってしまう。
それから、遺された人たちには、復讐心を押し殺して悲しみを消化するための「静かに生きる権利」があるはずだ。
(少し話がそれるけど、被害者の人の名前を実名報道することに何の意味があるんだろう。
「今どんなお気持ちですか」なんてマイクを向けるワイドショーのバカがいるけど、悲しいに決まってるじゃないか、と思う)


責任とか権利とか。
目に見えないものを判断するのって難しいな。