機械仕掛けの豚

クソみたいな世の中だと憂う前に、目の前のものを愛そう。

カブトムシの埋葬

十月の半ばに、カブトムシは死んだ。
盆前にうちにやってきたから、およそ二ヶ月間は生きたことになる。

夏の間はほんとに力強く動いていた。
夕方になると土の中からゴソゴソと這い出し、
自分の体の半分ほどもあるエサのゼリーをあっさりと完食した後、
夜中じゅう枝をよじ登り虫カゴの蓋によじ登り、
時折ひっくり返って起き上がれずに、
グロテスクなお腹を見せて足掻いていた。
黒光りする外見も動く時のゴソゴソという音も、
うちのカミさんには大不評だった。


5歳と3歳の子供たちはそんなカブトムシに興味を持った。
玄関を通るたびにカゴの中を覗き込んでは
「カブトムシさん寝てるね」とか
「ゼリー残してるね」とか言っていた。
小さいくせにけっこう力が強いので
持ったりすることは怖がってできなかったけど、
エサのゼリーなどは恐る恐るあげたりしていた
(といっても一人ではできなかった)。


盆が過ぎ、稲刈りの季節になってもカブトムシは元気だった。
ちょうどすべての稲を刈り終わった9月の終わり頃から、
少しずつ動きが鈍くなっていった。
エサも残しがちになった。
最期のときが近づいてきているのは明白だった。
死ぬ前は山に逃がしてやった方が
いいだろうかと少し悩んだけれど、
夏を過ぎてから逃がしても
カラスに食べられたりエサに有り付けずに
すぐに死んでしまうことが多いということを聞いてやめた。


そして10月半ばのある日、彼はひっくり返ったまま
動かなくなった。
子供たちに、
「カブトムシさん、死んじゃったよ。
今度の日曜、山に埋めてあげようと思うから、
一緒に行こう」
と言うと、
「死んじゃったの?もうゼリー食べないの?」
と5歳のお兄ちゃんが言った。
「そうだよ。あんなに強かったカブトムシさんでも、
夏を過ぎて生きることはできないんよ。
だから山に還してあげよう。土に埋めるんよ」
「土に埋めたら、苦しいからかわいそうじゃん」
「もう死んじゃってるから、苦しくないんよ。
埋めてあげたら天国に行って、また生まれ変わって
生きることができるかもしれない。
生きてるものはみんな死んじゃうんだよ。
虫さんも、犬も猫も鳥も、パパやママもいつかは死んじゃうんよ。
だから生きてるものには優しくしないといけない。
そして死んだら見送ってあげないといけないんよ。
わかった?」
「うんわかった、一緒に行くよ」


その週末の日曜日の昼、お兄ちゃんは風邪をひいて寝込んでしまった。
だから3歳の妹だけを連れて、虫カゴとスコップを
持って近所の神社に向かった。
階段を上り、境内の端まで歩いて行き、
たくさんの葉っぱが重なるところに小さな穴を掘った。


虫カゴを開けると、カブトムシの体は少しずつ壊れ始めていて、
足もいくつか千切れていて、頭を持つと今にも胴体から離れそうで、
体のあらゆる部分が弛緩していた。
穴の中に彼を入れた後、土をかぶせ、
その上に虫カゴの中の土と傷だらけの枝を乗せた。
「カブトムシさんにさよならを言おう」
と言うと、3歳の娘は言った。
「カブトムシさん、さようなら。
またなちゅに会おうね」


玄関に置かれた小さな虫カゴの中がカブトムシにとってのすべてだった。
そのことがカブトムシにとって幸せだったかどうかを論じるつもりはないけど、
少なくとも5歳の息子と3歳の娘に、生き物が死ぬってことを
少しだけ感じさせてくれた、という風には思うことにしよう。