機械仕掛けの豚

クソみたいな世の中だと憂う前に、目の前のものを愛そう。

誇りとか愛国心って何だ

新渡戸稲造は外国人から
「信じる宗教を持っていなくて、どうやって道徳を教えるんだ?」
と不思議がられたらしい。
そのときに彼は
「日本人の心に深く根付いているのは宗教ではなく、武士道だ」と思い立ち、
かの有名な「武士道」の著作に取り掛かったという。


日本人が持つ誇り。
当時は確かにあったかもしれない。
そしてそれはたぶん長く継承されてきたんだろう。


でも今、「私は日本人の誇りを持っている」とはっきり言える人は、とても少ない気がする。
自分も「あなたは日本人としての誇りを持っているか?」と聞かれたら、
「うーん?」と唸ってしまう。


誇り、愛国心、プライド?
その辺りの話になると右とか左とか戦争とかの要素が絡んできて、
ちょっと敬遠したくなる節もある。


戦時教育で、愛国心と敵愾心を同時に刷り込まれたことに対する
反動なのか、
それとも戦後、(たぶん意図的に)浸透した「アメリカ万歳」の風潮によるものなのか、
理由はよくわからないのだけど。


でもそもそも愛国心とは、国を愛する心であって、
他国への敵愾心ではないはずだ。


某テレビ局に対する韓流批判が盛り上がっているけど、
もしも韓国で日本のアニメに対するバッシングやデモがあったとしたら、
それはそれで一部の日本人はたぶん怒るだろう。
でもそれは愛国心から来る怒りじゃないんじゃねえの、と思う
(自分の好きなバンドをけなされてムカッとする、
あの感情に近いんじゃないかな…)。
好きな人は見るし、嫌いな人は見なきゃいい。
愛国心を絡めるから話がややこしくなる気がする。


単純に国を愛する心を考えたとき、自分なんかは
「国は愛していないけど、自分の育った土地は愛してるかもな」
なんて捻くれた回答をしてしまうけど、
仮にその地に被害が及ぶことがあるとしたら、
そのときは怒る。


矛先はテレビ局じゃない。